山本五十六記念館は、新潟県長岡市にある同市出身で旧日本海軍の連合艦隊司令長官を務めていた山本五十六の歴史を知ることができるミュージアムです。太平洋戦争では真珠湾攻撃をはじめ作戦全般を指揮した人物として広く知られていまる一方で、同氏はあくまで開戦への反対姿勢を貫きました。「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」とわが身の危険を省みず、日独伊三国同盟に断固反対した姿勢は、人々を愛し郷土を愛し慈愛の心を強く保っていたからこそであり、現代を生きる私達も多くのことを学ぶことができる数多くの名言を残している人物でもあります。
そんな山本五十六記念館の館内のフロアの中央には、多くの人を目を引く形で飛行機の大きな片翼が展示されています。その翼は強い力で無理やりちぎられたような形で壊れており、表面の金属板は荒々しくめくれ深紅に描かれた日の丸にも所々にも穴までもが空いています。そして、その翼こそが同氏が昭和18年4月にパプアニューギニア上空で米軍機の襲撃にあい戦士したまさにその際に搭乗していた海軍機「一式陸攻」の左翼です。もちろんこの翼はもともとこの地にあったわけではありません。同氏の生誕から100年になる年に関係者が墜落現場を視察した際にあがった「機体を長岡に持って帰りたい」という声を実現するべく、現地との粘り強い交渉の結果として平成元年にこの翼の里帰りが実現し、市民が広くこの翼を見られるよう平成11年に本ミュージアムが作られました。
なお、館内に展示されている史料は約150点にもおよびます。その中には米国から寄贈され約70年ぶりに日本に帰国を果たした旧日本海軍の戦艦「長門」の軍艦旗などがあります。また、同氏が知人に宛てた手紙や愛用品などの展示も多数あり、そのひとつひとつからも生前の人柄をしのばせるエピソードが内包されているところも本記念館ならではの魅力です。
そんな本記念館には近年では日本国内のみならず、中国や台湾などのアジアの国々からの訪問者が増えています。その人々の多くが山本五十六という人物が日米開戦に反対していたことを知らなかったという声も多く、自国で学んだ歴史認識と事実の違いを知ることができたといった声なども寄せられています。
なお、そのロケーションは新潟県長岡市呉福町にあり、JR長岡駅から徒歩約10分、また車での訪問をする場合関越道・長岡インターチェンジから約15分で到着することができます。