女子フィギュア・三宅咲綺の素顔とは?出身や年齢、家族構成など徹底解説!

出典:インスタグラム

23歳にしてグランプリシリーズに初出場した女子フィギュアの三宅咲綺選手。

どん底の大学時代を、親友・坂本花織さんの「つらいなら、神戸においで」という一言が変えた——そんな歩みをご存じでしょうか。

この記事では、三宅咲綺選手の明るい素顔や年齢、岡山・倉敷での出身エピソード、元歌手のお母さんなど家族の話まで、確認できる情報をもとにまとめました。

出典:インスタグラム

三宅咲綺の素顔とは?

氷の上では凛として華やかなのに、リンクを降りた瞬間の表情がとにかく明るい。それが三宅咲綺選手の第一印象です。ここからは、連載取材や本人の発言、SNSからうかがえる「素顔」の部分を、エピソードと一緒に見ていきましょう。

明るい人柄が伝わるエピソード

2026年10月末、カナダ・ケロウナでのGPデビュー戦。

公式練習を終えた三宅選手は「テレビで見ていた選手と一緒に滑ることができ、圧倒されながらも自分も負けてないぞという気持ちで頑張りました」と、初々しくコメントしました。

世界の舞台に立った緊張感と、負けじという芯の強さが同時に伝わる言葉です。

(毎日新聞・Yahoo!ニュース配信の記事)

日刊スポーツの連載「氷現者」で描かれた三宅選手にも、ユーモラスな人柄がにじむ場面がたくさんあります。

「私は本番に弱いタイプ。(母とは)人間としての考え方が全く違うので、参考にはならないかも…」

と、ステージに立つ母さんと自分を比べて笑うと思えば、高校時代に三宅星南さんや門脇慧丞さん、那須夏海さんと4人で練習した日々を

「すごくよかったなと思っています。楽しくできたし、伸びたきっかけだと思っています」

と振り返る場面もありました。実力の伸び以上に、周囲との関係を大切にしてきた選手だということが伝わってきます。

(【三宅咲綺〈上〉】水の上から氷の上へ ただでは帰らぬ女になるまで|日刊スポーツ/【三宅咲綺〈下〉】「神戸においで」どん底で見えた光、坂本花織に導かれた夢舞台|日刊スポーツ)

もちろん、穏やかさの裏には強い意志があります。

連載のタイトルは「水の上から氷の上へ ただでは帰らぬ女になるまで」。

日本スケート連盟の公式コメントでも「結果だけでなく、過程も大切にしながら、日々自分と向き合っています」と語っており、笑顔の内側にある本気を感じさせる選手なんだな、と感じます。

(日本スケート連盟・強化選手紹介ページ)

趣味は船釣り・ポケモン収集の話題

ここが、三宅選手の一番面白いところかもしれません。

所属契約先のシスメックスの公式プロフィールの趣味欄には「釣り、料理、ポケモンカード集め」とあり、日本スケート連盟のページには「ポケモン、生き物とふれあったりすること、植物育成」と記載されています。

どっちがホントか分かりませんが、華やかな競技のイメージに対して、この趣味のギャップ。ファンが増える理由が何となく分かる気がしますよね。

(シスメックス公式プロフィール/日本スケート連盟・強化選手紹介ページ)

尚、釣りは幼い頃から本格派のようです。

お父さんと2人で週に1回ほど釣り船に乗り、早いときは早朝4時に出船。フグやタイ、メバルを釣っては喜んでいたそうですが、特にお気に入りなのは、1メートルを超えることもあるタチウオだそう。

「当たった時に、さおがブルブルってなる感じ。あれがめちゃくちゃ好きなんです」と本人が語っています。

2022年3月には、「久しぶりに、お父さんのお船にのって、趣味である釣りに行ってきました。カサゴ、たくさん釣れました」と、X(旧ツイッター)に投稿していました。

(【三宅咲綺〈上〉】|日刊スポーツ/本人のX投稿)

海への愛は大人になっても続いているようで、有名どころから地方のものまで、15館以上の水族館を巡ったほか、2023年5月には船舶免許まで取得。

釣ったフグをさばいて鍋に入れるのが好きで、おばあさんはふぐの調理士免許を持っているとか。

釣りに水族館にポケモン——この素朴な趣味の数々が、三宅選手の魅力のひとつになっているのは間違いありません。

(【三宅咲綺〈上〉】|日刊スポーツ)

坂本花織さんとの深い絆

三宅選手の話に欠かせないのが、親友・坂本花織さんの存在です。

二人の関係は、2022年1月7日、北海道・帯広での日本学生選手権(インカレ)のときに動きます。

ケガ、そして練習環境の変化に焦燥感を募らせていた彼女は、酷寒の日に飲食店で向かい合った2学年上の先輩に悩みを打ち明けました。

返ってきた言葉が「つらいなら、神戸においで」。

当時の坂本さんは、その直後に北京五輪で銅メダルを獲得し、同年から世界選手権3連覇を果たすほどの頂点に立つ選手。

そんな存在から声をかけられたことが、三宅選手の人生を動かしました。

(【三宅咲綺〈下〉】|日刊スポーツ)

2022年春に岡山から神戸へ拠点を移すと、リンクには坂本さんや三原舞依さんという世界レベルの選手がいました。

同じ氷の上で、そうした先輩たちと練習する毎日の中で、三宅選手の環境と気持ちは徐々に変わっていきます。

(岡山理科大学の記事)

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そして2026年、この関係に新しい展開が生まれました。

ミラノ・コルティナ五輪の女子シングルと団体戦で銀メダルを獲得し、同年5月13日の引退会見(会見では結婚も発表しました)で競技生活に幕を下ろした坂本さんが、7月の全日本合宿で「コーチデビュー」を果たしたのです。

かつて坂本さんを育てた中野園子さん(73)との交代制で、週2回ほど三宅選手を指導しているといいます。

「坂本さんは『行け!』『やれ!』『なに甘えとんねん!』みたいな感じで声が飛んでくる。いつでも中野先生の代わりができると思います」

「コーチが似合っているし、風格がある」と、三宅選手は信頼を口にします。

(サンケイスポーツの記事/olympics.comのアスリートハイライト/坂本花織さんの引退会見|朝日新聞)

GPデビュー戦に臨む三宅選手を、坂本さんは「楽しんできて」と送り出したそうです。かつてのリンクメイトであり親友だった相手が、いつの間にかコーチになっている。

自分もこの記事を書きながら、4年半前の氷点下の一言が、今は指導者と選手という形で続いているのかと思うと、じんわりきました。

近畿選手権後の取材では「自分のトリプルアクセルを研究してきた」と語り、坂本さんからの独り立ちを「初めてのお使い、みたいな感じ」と表現したと報じられるなど、甘えつつも自立していく様子が伺えます。

(毎日新聞・Yahoo!ニュース配信の記事/Deep Edge Plus(共同通信)のコメント記事)

出典:インスタグラム

SNSに見る素の日常

SNSからも、素の三宅選手がのぞきます。

Instagramアカウント(@saki._.miyake)では「Athlete figure skater」と名乗り、練習の合間の写真や日々の思いを発信。所属先のシスメックスフィギュアスケートチームの公式Instagramでも、選手からのメッセージが定期的に公開されています。

X(旧ツイッター)では釣りの報告など、海好きならではののびのびとした投稿も見られました。

(本人のInstagram/シスメックスフィギュアスケートチーム公式Instagram/本人のX投稿)

GPデビュー前には「2、3年前は自分がGPシリーズに出られるとも思っていなかった。夢の舞台」と語っています。

GPシリーズとは、ISU(国際スケート連盟)が秋から冬にかけて世界のトップ選手を招いて開催するシリーズ戦のこと。ファイナルへ向けた登竜門であり、出場すること自体が世界クラスであることの証のような試合です。

その舞台に立つことすら夢だった時代を越えて、23歳で初めて挑む——この歩みにこそ、三宅選手の素顔の強さがあるように思います。

(毎日新聞・Yahoo!ニュース配信の記事)

三宅咲綺の年齢は?

生年月日と現在の年齢

三宅咲綺選手は2002年11月23日生まれ。2026年11月1日時点では23歳で、今月23日に24歳の誕生日を迎えます。

11月23日は勤労感謝の日でもあるので、誕生日を忘れにくいのも助かりますね。

ちなみに生まれた2002年の冬は、12歳の浅田真央さんが全日本選手権で史上初となる3連続3回転ジャンプを成功させる、約1カ月前のことでした。

(ウィキペディア/【三宅咲綺〈上〉】|日刊スポーツ)

23歳でのGPシリーズ初出場は、時事通信が「遅咲きデビュー」と報じた通り、決して早い挑戦ではありません。

ただ、フィギュアスケートはジャンプの難度だけでなく、表現力や安定感が生きる競技でもあります。20代に入ってから大きく伸びる選手は少なくなく、ここからが正念場という見方も十分できます。

「(合計)200点は取りたい」と本人が口にするように、目標ははっきりしています。年齢は、むしろ追い風に変えられるものだと感じます。

(時事通信の記事)

身長・血液型の基本データ

ここで、基本データを整理しておきましょう。

  • 生年月日:2002年11月23日(2026年11月時点で23歳)
  • 出身地:岡山県倉敷市(児島)
  • 身長:154cm(シスメックスの公式プロフィールによる。ウィキペディアなど155cmとする資料もあり)
  • 血液型:O型(ウィキペディアの記載による)
  • 所属:シスメックス(2025年4月1日〜)
  • コーチ:中野園子さん、グレアム充子さん
  • マネジメント:IMG TOKYO

(シスメックス公式プロフィール/フジテレビ「スケート∞リンク」プロフィール/ウィキペディア)

身長154cmは、女子フィギュアでは小ぶりの部類に入ります。

それでも持ち味は「高さのある連続3回転トーループ」と報じられ、サンケイスポーツは「トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を武器にする三宅」と紹介しています。体格を補ってあまりある大技に挑戦し続けているのが、今の三宅選手です。

なお今季のプログラムは、SPが「Samba do Brasil」、FSは映画『新約聖書〜イエスと二人のマリア〜』の音楽で、振付はいずれもミーシャ・ジーさんが手がけています。陽気なサンバと重厚な映画音楽のコントラストも、注目のポイントです。

(毎日新聞・Yahoo!ニュース配信の記事/サンケイスポーツの記事/ウィキペディア)

三宅咲綺の出身はどこ?

岡山県倉敷市で生まれ育つ

三宅選手の出身は、岡山県倉敷市の児島地区。

「ジーンズの街」として全国的に知られる土地です。瀬戸内海に面した穏やかな気候の町で、「毎日海に行っていたので、めちゃくちゃ(肌の)色が黒かったです」と本人が笑うほど、海は生活のすぐそばにありました。

王子が岳から瀬戸大橋を一望する景色も、幼少期の思い出として語られています。

(【三宅咲綺〈上〉】|日刊スポーツ)

学びの道は、岡山理科大学附属高校から岡山理科大学(経営学部)へ。大学では経営組織論を専攻し、授業が終わると新幹線に飛び乗って神戸のリンクへ向かう多忙な日々を送っていました。

大学卒業後の2025年4月1日には、地元・関西に本社を置くシスメックスと所属契約を結んでいます。

(岡山理科大学の記事/ウィキペディア/三宅咲綺選手のシスメックス契約|Deep Edge Plus(共同通信))

祖父に連れられスケート開始

スケートを始めたきっかけは、おじいさんとの会話にありました。

もともとバレエを習いたがっていた三宅選手に、おじいさんは「氷の上のバレエはどうだ」と言って、児島の「ヘルスピア倉敷」のリンクへ連れて行ったのです。

バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した浅田真央さんの活躍も、背中を後押ししてくれました。

(岡山理科大学の記事)

ここからが、ちょっと驚きのエピソードです。

小学校1年生の初滑りの日、教室のインストラクターがいきなり素質を見抜いたといいます。

「重心を後ろにかけた滑りはスケーターの素質十分」と、帰る時にはおじいさんがすでにクラブへの入会手続きを済ませていたんだとか。

小学2年で県大会20人中7位、次の大会で3位とめきめき上達し、小学4年からは香川県高松市のプロコーチのもとへ。

学校帰りに夕方まで練習し、深夜1時からまた90分滑る——小学生離れした生活を週に2、3回続け、送迎係を務めたのはお母さんでした。

(岡山理科大学の記事)

順風満帆に見える道のりですが、小学校4年から中学2年までは「試合に出るのが怖くなってしまって」と語るほどのスランプも経験しています。

それを乗り越えた中学3年からは、国スポ冬季大会で岡山県女子団体の最高成績となる3位入賞、個人でも4位に入るまでに成長しました。

(岡山理科大学の記事)

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岡山理科大から神戸への移籍

高校時代の成績も、着実に上積みしていきます。

2018年12月の全日本選手権で20位、翌2019年には12位に入って初めて強化選手入りを果たしました。強化選手とは、日本スケート連盟が支援対象として指定する選手のことで、日本代表の候補という位置づけです。

(日本スケート連盟・強化選手紹介ページ/【三宅咲綺〈下〉】|日刊スポーツ)

しかし、高校最後のシーズンに腰椎分離症を発症。

満足に練習ができず、西日本選手権では15位に終わり、3年連続となる全日本出場を逃しました。進路では県外の強豪校から特別推薦の案内も届きましたが、コロナ禍が始まったばかりで家族も人の多い場所を心配したことから岡山に残り、2021年春に岡山理科大学へ進学。

ところが大学では思うようにリンクを使えず、練習時間はむしろ限られていきます。「また、スランプに陥っちゃって…」。試合が怖くなるほど追い詰められたのが、この頃です。

(【三宅咲綺〈下〉】|日刊スポーツ/【三宅咲綺〈中〉】「イップスかも…」試合が怖かった低迷期、氷につなぎ留めた言葉|日刊スポーツ)

どん底だった2022年1月、坂本花織さんの勧めで春に神戸へ移籍。

中野園子コーチのもとで再スタートを切ると、同年12月の全日本選手権ではSPで自己最高の66.29点を記録して5位発進(総合18位)。2023年には中四国九州選手権3連覇と西日本選手権2位(自己ベストの179.03点)を積み重ね、全日本選手権も16位まで上昇しました。

(【三宅咲綺〈下〉】|日刊スポーツ)

その後は一気に上昇気流に乗ります。

2023-24年シーズン後には、地元のヒーロー・高橋大輔さんに勧誘され、プロデュースのアイスショー「滑走屋」にも出演。

そして2024年11月の西日本選手権で待望の優勝を飾ると、同年12月の全日本選手権でも9位に。

2025年1月の日本学生選手権では2位、4月からはシスメックス所属としてCS木下グループ杯で3位(総合196.79点はいずれも自己ベスト)、全日本選手権は2024年・2025年と2年連続で9位、2026年の国スポ冬季大会成年でも3位に入っています。

(ウィキペディア/日本スケート連盟・強化選手紹介ページ)

2026年は試練の年でもありました。3月、練習中の転倒で骨盤の一部(上前腸骨棘)を骨折し、5月まで全休。

ただ、その後「一から筋肉をつけて、だいぶ戻ってきた」と復調を語った三宅選手は、2025年10月の近畿選手権に続いて2026年10月の同大会でもトリプルアクセルを成功させて優勝(合計199.43点)。

そして10月末から始まったGPスケートカナダに初出場を果たすと、SPをそれまでの自己ベスト70.29点を上回る71.95点で4位発進しました。国際大会の経験は2025年9月の木下グループ杯が唯一で、カナダは初めての海外試合でした。

(サンケイスポーツの記事/日刊スポーツの記事/産経新聞の記事/ISU公式結果/毎日新聞・Yahoo!ニュース配信の記事)

三宅咲綺の家族構成

母親は元歌手の三宅のり子さん

三宅選手のお母さん・のり子さんは、15歳のときにスカウトを受け、岡山県倉敷市から上京。大手レコード会社のビクターから19歳でプロデビューした歌手です。

オリコンチャートにランクインした実績を持ち、「シャボン玉に写った虹のような歌声のアイドル」というキャッチコピーで活動していました。長女の咲綺さんが生まれてからも、ライブで全国を転々としていたそうです。

(【三宅咲綺〈上〉】|日刊スポーツ)

三宅選手の最も古い「母の記憶」は、4歳か5歳のときの花火大会の野外ライブ。

サイリウムの光の中で歌い上げ、花火が咲くと静かに微笑む母の姿に「なんかすごい…!」と心を動かされたそうです。

氷の上で観客を惹きつける三宅選手の表現力には、幼い頃に見た母さんのステージが流れているのかもしれませんね。

ちなみに、「咲綺」という名前には「お花がきれいに咲きますように」という願いが込められているんだそうです。

(【三宅咲綺〈上〉】|日刊スポーツ)

幼少期を支えた家族の存在

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両親は共働きで、小さい頃は祖父母と過ごすことが多かったといいます。

バレエを習いたがっていた孫娘をリンクへ連れて行ったのは祖父さん、深夜の練習の送迎を担ったのはお母さん、釣った魚をさばいたのはお父さんとおばあさん。

家族それぞれの形で、三宅選手の原点が作られてきたことがわかります。

(朝日新聞「4years」の記事/【三宅咲綺〈上〉】|日刊スポーツ)

進路の選択にも、家族の存在は大きく関わっていました。

特別推薦の案内を断って地元・岡山に残ったのは、コロナ禍が始まった時期だったから。「やっぱり親とかも人の多い場所に出すのがちょっと心配だったんだと思います」と本人が振り返る通り、家族の思いやりが背中にあった決断です。

(【三宅咲綺〈下〉】|日刊スポーツ)

まとめ

三宅咲綺選手の素顔を、最後に整理しておきましょう。

  • 岡山県倉敷市児島出身の23歳(2002年11月23日生まれ)。身長は154cm、血液型はO型
  • 趣味は釣り、料理、ポケモンカード集め。水族館を15館以上巡り、船舶免許まで持つ海好き
  • 母親はビクターからプロデビューした元歌手・三宅のり子さん。父と釣り船に乗った幼少期など、家族のエピソードが豊富
  • 小学1年で初めてリンクに立った当日にクラブ入りするほどの素質を見せ、高校までは地元・岡山で育った
  • 大学時代のスランプを、親友・坂本花織さんの「つらいなら、神戸においで」が変え、2022年に神戸へ移籍
  • 全日本選手権は26位→18位→16位→9位→9位と、5シーズンかけてじわじわと上昇
  • 2026年3月の骨盤骨折からの復活を経て、23歳でGPシリーズに初出場。SPは自己ベスト更新の71.95点で4位発進
  • 引退した坂本さんがコーチとして指導にあたる、新しい師弟関係もスタートしている

GPデビュー戦となったスケートカナダでは、フリーが現地時間の11月1日に行われます。23歳の「遅咲き」デビューは、裏を返せば、あきらめなかった23年間の記録です。坂本さんが送り出してくれた「楽しんできて」という言葉とともに、「200点と表彰台」という目標へ——三宅咲綺選手のこれからは、釣りで培った「引き」を感じさせる、粘りのあるものになりそうです。

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